昭和から平成に年号が変わったとき、平成サービスなどと、平成を使った名前の会社がずいぶん登場したものです。
JRもその例にもれず、平成の名をつけた駅があります。
その名もずばり平成駅。
JR豊肥本線熊本駅の隣駅で、駅のある町名が平成3年、十禅寺町から平成町に変わり、同じ年にこの駅が誕生したことから、この名前になったのです。
平成があるなら、明治大正昭和はどうなのかと気になるところだが、実際はどうでしょう。
JRには大正昭和の名のついた駅名はあるが、明治はないのです。
大正駅は大阪環状線、昭和駅は神奈川県の鶴見線にあります。
大正駅は大阪市大正区にあり、昭和駅は駅のそばに昭和電工川崎工場があることにちなんで名づけられたのです。
このほか四国の高徳線には昭和町駅、予土線には土佐大正駅土佐昭和駅という駅もあります。
これらも所在地がそれぞれ、高松市昭和町、幡多郡大正町昭和村であることからきています。
ただし昭和村は現在合併して十和村となったため、地名としては残っていません。
これに対し、明治のつく駅名はJRにはどこを探してもないが、私鉄にまで範囲を広げれば出てきます。
たとえば東京の営団地下鉄千代田線には明治神宮前があるし、京王線の明大前は、明治大学前を略したもの、名鉄の犬山線には明治村があります。
明治は遠くなりにけりといわれるが、なかなかどうして、駅名のなかにしっかり残されています。
当時としてはまさに夢の超特急だったが、それからのスピードアップは、それほどめざましいものではなかったのです。
まあ、それだけ〈ひかり〉の完成度は高かったということなのでしょう。
しかし、平成4年3月のダイヤ改正で、世間はあっと驚くことになったのです。
JR東海は東京ー新大阪間に〈のぞみ〉を新設し、新たに開発した〈300系〉によって東京ー新大阪間の所要時間を一気に19分も短縮。
わずか2時間30分で東京ー大阪間を結ぶことに成功したからである表定速度2062キロ。
さらに、平成5年3月には、JR西日本も〈のぞみ300系〉を投入。
〈のぞみ〉の躍進は、まだ続く。
と思っていると、反対方向から高校生をたくさん乗せた普通列車がやってきて、なんだ、行きちがいかとなります。
このほか、運転停車には、運転士が交代するためだったり、列車の進行方向を変えるためなどの理由があるが、これはあくまで運転上の都合の停車だから、列車のドアは開かないし、乗客が乗り降りすることもできないのです。
運転停車する駅が決まっているのなら、乗客を乗り降りさせてもよさそうなものだが、それでは、駅の改札口を開けなければならないなど、JRとしてはさまざまなコストがかかる。
だから、建て前はあくまで通過なのです。
もっとも、場合によっては、車掌さんに懇願すると、こっそり下車させてもらえることもあるらしい……。