企業のトップである社長は、どんな会社でもひとりしかいません。
同じ長がつく役職には会長があるが、社長とは役割がちがう。
駅でいえば、社長は駅長ということになるが、もちろんこの駅長も駅にはひとりしかいないはず。
ところがJRの駅には、駅長がふたりもいる駅が何カ所か存在するのです。
駅長のふたりいる駅が誕生したのは、国鉄が民営化して以後のこと。
そして、じつは新幹線が通っている駅だけにふたり駅長が誕生しているのだが、ここにふたり駅長誕生の理由があります。
国鉄が民営化するさい、JRは全国6社に分割され、このとき新幹線も、どの新幹線がどのJRに属するのか決められたのです。
東北上越新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本といった具合です。
しかし、こうなると、たとえば在来線の東京駅はJR東日本の管轄だが、新幹線の東京駅はJR東海の管轄ということになってきます。
それなら、いっそのことふたりの駅長を誕生させてしまえというわけで、JRの東京駅には、JR東日本の駅長とJR東海の駅長が呉越同舟することになったのです。
それを証明するように、実際の東京駅にはそれぞれの駅長室もあります。
新幹線が通る駅のなかには、東京駅のほかにも、駅長がふたりいる駅があります。
(JR東日本東海道本線、JR東海東海道新幹線の駅長がいる駅小田原駅、熱海駅(JR西日本東海道本線、JR東海東海道新幹線の駅長がいる駅米原駅、京都駅、新大阪駅(JR九州鹿児島本線とJR西日本山陽新幹線の駅長がいる駅小倉駅と博多駅いっけんすると不思議なふたり駅長制度だが、駅長同士の属している会社がちがうのだといわれてみれば、なるほど納得できる。
ちなみに、東海道新幹線がJR東日本エリアに停車する駅には新横浜があります。
ここには在来線の横浜線も通っているが、駅長はJR東海のひとりのみ。
これは新横浜があくまで新幹線のために作られた駅という側面が強いからでしょう。
やっと止まったと思ったら、今度はその駅止まり。
結局、隣の駅へは行けずじまい。
そんな駅があるのをご存じでしょうか。
それは、北海道のJR石勝線にある楓駅のこと。
石勝線は、千歳線に接続する南団千歳駅と、根室線に接続する新得駅とを結ぶ路線で、上り列車新得方面は楓発のものが一日に2本あるが、下り列車南千歳方面で楓に止まるものは1本もないのです。
正確には、一日2本楓に止まる列車はあるが、いずれも楓止まりなので、下り方面へ行くことはできないのです。
この駅はどのような経緯で生まれたのかというと、これは石勝線が誕生したいきさっと関係があります。
石勝線は、北海道の中央を走る千歳線と東を走る根室線を結ぶために作られた線で、両者間を走る特急を通過させるのが最大の目的です。
そんな線になぜ、上り列車しか止まらない駅を作ったのか。
じつは石勝線が誕生するまえ、このあたりには夕張線の登川支線が走っていたのです。
新夕張駅から旧楓駅を通って登川駅へ行くというもので、地元の人たちの通勤通学用として使われていたのです。
そこで、これまであった登川駅と楓駅の代わりの駅として、現在の楓駅を石勝線に作ったのです。
そして楓駅には、隣の新夕張駅へ行くための普通列車を、石勝線となったいまでも2本だけ走らせることにしたのです。
つまりむかしのなごりで、石勝線には、楓と新夕張という隣り合った駅を往復する普通列車が、一日2往復しているということになります。
一日中待って、上り列車が2本止まるだけという駅が生まれたのには、こんな背景があったというわけだが、どうしても楓駅から下り方面に行きたければ、普通列車でいったん新夕張駅まで戻り、そこから特急列車に乗らなければならないのです。
朝夕混雑する路線なら、昼間でもある程度の乗客はいます。
ところがJRには、朝夕は乗客で超満員なのに、昼間は乗客がひとりもいないというあまりにも極端すぎる駅があります。
山陽本線の和田岬駅がそれです。
和田岬駅昼間は乗客ゼロなのに朝夕だけ超満員になる駅は、兵庫駅から出ている、通称和田岬線と呼ばれる山陽本線の支線の終着駅だが、この和田岬線、朝夕をのぞくと昼間は列車が1本も走っていません。
昼間の乗客がひとりもいないのも、まあ当然でしょう。
時刻表を見ればおわかりのように、和田岬線では、上り下りとも朝7時台に始発列車が走り、9時までの間に6往復します。
その後はずっと時間があいて、次の列車が走り始めるのは夕方です。
17時台になってようやく夕方の列車が走り出し、22時までに8往復します。
なぜこのような、朝夕と昼とで極端にちがう運行を行なっているのかというと、この和田岬駅、じつは三菱重工をはじめとする大工場が林立する地帯にあることと大いに関係があります。
つまり和田岬線は、兵庫駅から和田岬の工場地帯へ通勤する人たちを運ぶために作られた路線というわけで。
しかし、いくら通勤目的の列車とはいえ、遅刻や早退、出張などで、昼間、列車を使いたい人もいるはずです。
また、和田岬駅周辺には住宅街もあるから、そこに住む人の需要だってあるはずです。
このあたりは神戸市バスが頻発しているから、昼間の外出にはこちらを使えば事足りる。
列車は、大量に人が動く朝と夕方だけで十分というわけです。
和田岬駅のように、朝と夕方で利用率がまったくちがう駅はほかにもあります。
川崎市にあるJR鶴見線の大川駅や、私鉄の大手、名古屋鉄道築港線の東名古屋港がそうです。
これらもやはり工場地帯にある駅で、利用客の大半は通勤客です。
1日に1往復分しか列車が停車しない駅ふつう、どんなに利用客が少ない駅でも、朝夕と最低2往復分は列車が止まるものです。
そうでなければ、朝、列車に乗って出かけたはいいが、その日のうちに戻ってこれなくなってしまいます。
ところが、一日1往復分しか止まる列車がなく、利用者にとってはさぞや不便だろうという駅があります。
北海道のJR石北本線網走から宗谷本線を経て旭川では、特急停車駅の上川駅と白滝駅の間にある天幕中越奥白滝上自滝の4駅は、すべて一日1往復しか列車が止まらないのです。
たとえば天幕駅なら、6時23分に釧路方面へ向かう下り普通列車が1回、そして18時25分に、旭川方面へ向かう上り普通列車が1回停車するだけです。
それでも釧路方面へ用事がある人なら、朝、下り列車に乗って出かけ、夕方、上り列車に乗って帰ってくることもできる。
しかし旭川方面に用事のある人は、夕方の上り列車に乗って、その日はもうどこかで1泊するしかないのです。
よく乗客から不満の声が出ないものだと思われるかもしれないが、そもそもこれらの駅には、不満をいう乗客自体がいないのです。
これらの駅に止まる列車に乗ってみればよくわかるが、この4駅に止まったとき、乗り降りする客を見ることはまずないのです。
これら4駅周辺には住む人もなく、利用客が皆無に等しい駅なのです。
じつはこの列車、いちおう各駅で止まってはいるものの、事実上は回送列車なのです。
乗客を運ぶためというより、この4駅よりやや釧路側にあり、列車の終発着駅である遠軽や北見と、旭川にある車両基地とを往復させるために走っているというのが実情。
とはいえこの列車も、初めから回送列車だったわけではないのです。
昔は上下4本ずつ、普通列車が止まっていたこともあります。
しかし利用客がほとんどいないということで、昭和61年11月のダイヤ改正で、現在のように上下1本しか止まらないダイヤになってしまったのです。
北海道に住む人以外にとってはヘエ〜で終わる話かもしれないが、まえに紹介した石勝線の楓駅といい、北海道など、地方の過疎化というのは、これくらい深刻なのです。