東京ー博多間は〈ひかり〉を使うと6時間とちょっと。
けっこうな長旅です。
お金に余裕があればグリーン車に乗りたいところだが、このグリーン料金が、また高い。
東京ー博多間は運賃計算キロでいうと11803キロ。
すなわち、そのグリーン料金は801キロ以上の上限に当てはまり、なんと7440円。
往復ともグリーン車となると、約1万5000円の出費です。
グリーン車は、やっぱりお金に余裕がないとちょっと無理……ということになりそうなのだが、しかし、です。
もしも、あと2000円出せば、東京ー博多間をグリーン車で往復できる、となればどうか?
時刻表のピンクページ、トクトク切符のコーナーにある往復割引切符組合せタイプというのがそれです。
組合せタイプというのは、目的地までの往復に利用できる列車のパターンがAからGまでの7通りあり、それらの列車パターンを行きと帰りで組み合わせることができるというものです。
そこで、東京ー博多間を行きも帰りも新幹線のグリーン車というAパターンにすると、その料金払は4万2820円。
これはもう、JRが東京ー博多間を新幹線の普通車で往復するのは無駄なこと。
往復割引を使ってグリーン車に乗らないとソンですよといっているようなものです。
まあ、往復割引では〈のぞみ〉は使えないから、ホントに忙しい人が〈のぞみ〉の普通車で往復するぶんには、無駄とはいえないだろうが、ともかく、この往復割引切符というのは、正規の運賃と比べると、相当なお得になっているのは事実なのです。
ただし、この組合せタイプの往復割引きっぷが設定されているのは、東京や名古屋、大阪から山陽九州四国方面だけです。
つまり、割引率が高い背景には、航空会社との激烈な競争があることが十分に想像できる。
その航空料金だが、東京ー福岡間は、通常期で片道2万6800円。
いっぽう、JRの往復割引きっぷなら、グリーン車でも片道2万1410円です。
その差は約5400円。
もし、そんな列車旅行をやってみようというときは、独自の周遊券一般周遊券を作ることをおすすめしたい。
次の3つの条件をクリアしていれば、JRの運賃は2割引。
会社線私鉄の鉄道やバス、連絡船などの運賃もほぼ1割引になります。
有効期間は1カ月。
大旅行になればなるほど得であることはいうまでもないのです。
条件……周遊指定地を2カ所以上回って、出発地に戻る。
全国で300カ所近くあるただし、このなかには1カ所に数えない準指定地も含まれています。
詳細は周遊券売り場でたずねること。
全部で14カ所あり、1カ所だけでも周遊券が作れます。
条件……JRの列車、連絡船、高速バスなどを、営業キロで201キロ以上利用します。
また、夫婦での条件をクリアし、なおかつグリーン車かA寝台車を201キロ以上利用する場合は、グリーン周遊券に切り替えたほうがいいでしょう。
これは、JR線の運賃だけでなく、特急急行グリーン指定席料金も2割引になるというものだが寝台料金とグリーン個室料金、〈のぞみ〉の特急料金などはのぞく、すべてグリーン車にすることはないのです。
グリーン車を利用するのは、たとえ1区間ではあっても、201キロ以上ならいいのです。
新婚旅行の場合は、出発駅での見送り用入場券が10枚もらえるというサービスもあります。
ちなみに、一般周遊券もグリーン周遊券も、JRだけなく私鉄も含んでいるため、JRの窓口では販売されていません。
JTBや日本旅行などの旅行代理店で申し込むことになるが、周遊券ができあがるまで数日かかるため、日程には余裕をみておくことです。
17種類もの特急が走るバラエティ豊かな路線とは?ダイヤが改正されるたびに、JRの急行列車が減っています。
現在、JR各社が走らせている定期運行の急行列車は全部で26種類しかないのです。
これは新幹線が東西に延び、在来線の特急が増えたせいばかりではないのです。
快速やホームライナーなど、スピードでは急行に負けない普通列車が増えたことも大きな理由で、結果として、急行はなんとも中途半端な列車になってしまったのです。
しかし、急行列車には、なんともいえない哀愁が漂っています。
特急はちょっとゼイタクだから急行で我慢しよう……昭和30年代にはそういう庶民がたくさんいて、それが急行列車独特の雰囲気をかもしだしていたのです。
〈津軽〉は、東北から上京してきた人々のあいだでは出世列車と呼ばれ、いかにもという感じの哀愁が漂っていたのです。
というわけで、現在、そういう哀愁にひたりたい人は、次の急行列車に乗ってみることをおすすめします。
大阪発23時26分。
東海道線〜北陸線〜信越線を経由して、新潟着は8時29分新津〜新潟間は快速列車になります。
日本海の波の音を聞きながらの夜行列車の旅は、まさに昭和30年代的な気分が味わえるはず。
急行料金は、201キロ以上はどれだけ長くても1260円ポッキリだから、じつにお得な急行列車です。
新宿発23時23分、松本着4時10分という夜行列車で、金曜の夜ともなると、急行〈アルプス〉には山男たちがどっと乗り込む。
こう見てくると、急行列車というのはやっぱり北がお似合いのようです。
なぜ、このふたつの区間は普通乗車券だけで特急に乗れるのかといえば、早い話が、このふたつの区間には特急列車しか走っていないから、なのです。
そのため、時刻表の欄外にも、わざわざこの区間に限り、普通乗車券のみで特急の普通車自由席に乗車できると書いてあるほどです。
ふつうなら1150円の特急券が必要になるところだが、これがいらないというのだから、JRも太っ腹ではないか。
宮崎空港線は、1996年7月に開通したばかりの新しい路線。
この車両に、特急券ナシで乗れるとあれば、鉄道ファンとしてはちょっと見逃せないはずです。
驚くほど安く新幹線に乗れる区間がある新幹線の自由席特急券は、最低でも830円。
普通乗車券をプラスすれば、新幹線に乗るためには、最低でも千数百円は必要になるが、じつは、わずか290円で新幹線に乗れてしまえる区間があるのです。
山陽新幹線の終点博多から、ヒゲのように延びている博多南線という路線。
その終点が博多南駅である終点とはいっても、博多からは一駅ですけど。
営業キロ数は、8.5キロ。
博多南線はれっきとした在来線のひとつなのだが、この在来線の特徴は、1日21往復するすべての列車が特急列車、しかも全部、新幹線車両だということです。
290円の内訳は、普通乗車券が190円、自由席特急券が100円というわけなのだが、さて、これはいったいどういうことなのか?
じつは、博多南線は、新幹線が博多まで開通した当時は、博多駅と新幹線の車庫博多総合車両所を結ぶ車庫線だったのです。
つまり、当時は、乗客のいない回送列車が車庫までトコトコ走っているだけの路線だったのです。
しかし、その当時、博多に出るための足はバスしかなく、交通渋滞に巻き込まれると、博多まで1時間ということも珍しくなかったのです。
そこで住民たちの目にとまったのが、乗客のいない新幹線の回送電車だったのです。
表定速度停車時間を含めた平均速度は、時速51キロ。
車両所の片隅にある、ホームがひとつだけの博多南駅は、事実上、山陽新幹線の起点となる駅なのです。
〈湘南新宿ライナー〉は地図にない線路を走る東京から成田空港への足として便利な〈成田エクスプレス〉。
池袋や新宿など副都心方面の発着列車が多いため、東京の西郊外に住む人には重宝がられている列車だが、この〈成田エクスプレス〉はいったいどんなルートを走っているのでしょう。
ちょっと考えれば、池袋、新宿から千葉方面に行くのだから、中央線〜総武線というルートが最短のはず。
しかし、実際はそうではないのです。
池袋や新宿から〈成田エクスプレス〉を利用したことのある人ならご存じのように、走り出した〈成田エクスプレス〉は、中央線ではなく、渋谷方向に向かって山手線に並行して進む。
なんだ、山手線を走っているのかと気がつくのだが、しだいにふだんの見慣れた山手線の風景とは、少し様子がちがうことに気づく。
じつは、〈成田エクスプレス〉が走っているのは、山手線とほぼ並行して走る山手貨物線で、いってみれば裏街道を走っているのです。
池袋新宿を出発した〈成田エクスプレス〉は、山手貨物線を走り、大崎駅の先で、横須賀線の上り線路に流入します。
これは、首都圏の旅客線の線路容量がいっぱいになってきたため。
そこで、いまではあまり使われなくなった貨物線を活用しようということになったわけです。
こうした貨物線を使った電車には、新宿発の〈湘南新宿ライナー〉もあります。
これは、副都心の新宿と東海道本線の藤沢、茅ヶ崎などをダイレクトに結んでいる一種の通勤快速電車普通車は、乗車整理券〈310円〉が必要だが、このルートがなかなか面白い。
新宿と藤沢を結ぶ線路といえば、ふつう新宿から品川まで山手線を走り、品川からは東海道本線というルート、あるいは新宿から東京までは中央線、東京からは東海道本線というルートが思い浮かぶはずだが、これまた実際はそうではないのです。
これは、〈湘南新宿ライナー〉が新宿から大崎あたりまでは山手貨物線を走り、さらにそこからは下りの東海道貨物線に乗り入れているから。
東海道貨物線は、鶴見を過ぎてから大きく北に迂回し、途中、羽沢の貨物駅を経由して、ようやく戸塚あたりで旅客線と並行して走り出す。
だから、品川から横浜は通らないし、戸塚、大船は通過ということになるわけです。
しかし、地図には載っていなくとも、いまでは立派に乗客を運んでいる路線です。
貨物線という名前ではなく、もっとカッコいい名前をつけて、地図に載せてはいかが?
文部省唱歌『汽車』のモデルといわれる路線今は山中今は浜で始まる文部省唱歌『汽車』は、汽車旅の情景を軽快なテンポであらわし、長いあいだ親しまれてきます。
山中を走っていた汽車が海に出て、やがて鉄橋を渡り、渡ったかと思うとトンネルに入り、トンネルを抜けるとそこには広い野原。
ここにはJR常磐線が走っていて、末続という駅から下り列車で広野へ向かう途中の景色が、『汽車』の歌詞とそっくりだというのです。
たしかに、末続を過ぎると、列車は山中から海岸線に出て鉄橋を渡り、トンネルを抜けると広野の町が広がってきます。
広野町の主張の面白いところは、思う間もなくトンネルの間を通って広野原という歌詞を、トンネルを抜けて見えてくるのは、広い野原ではなく、広野の原だといっている点。
しかしほんとうのところは、この曲の作詞者が不詳となっているのでわかりません。